元東大院生、不登校を語る〜箱の外で考えて〜

小学生の頃から筋金入りの不登校だった元東大院生が不登校に関する考え方や体験を綴ります。

4. 元東大生が不登校時代の過ごし方を振り返って分析してみる

どうもです。箱の外の中の人です。

 

さて、前回に引き続き、自分語りです(なんか、自分語りとか大それた感じになって恐縮なのですが、大したことをやっている人間ではありません。すみません。)。

 

タイトル的に東大東大うるさいって思ってる方もいらっしゃるでしょう!私も思います!笑

ただ、その方が検索にひっかかりやすいかなと思ってるだけです笑

 

それは置いておいて、今回は、あくまで一例に過ぎませんが、身体的にも精神的にも元気なのに不登校している人間の過ごし方ってこんな感じなんだよというのを認識していただければ幸いです。

 

 

不登校時代① 暇、暇すぎる…→ゲームへの没頭

不登校の原因が、友人関係の問題ではなく、学校制度そのものだったり先生への反感だったので、友達関係は特に問題ありませんでした。

 

友達は休日に一緒にカードゲームをしたり、テレビゲームをしたり、外でキャッチボールをしたり色々と遊んでくれましたし、それはとても楽しかった。今でも感謝しています。

 

後述しますが、家族も理解があって、親が私を学校に強制的に行かせることはごく初期の頃を除いて、ありませんでしたし、きょうだいからも不登校であることについて嫌味やら何やらを言われることはありませんでしたし、普通に接してくれました。

 

私の場合、こうした周りの人たちには本当に恵まれていました。

 

ただ、友達やきょうだいが学校に行っている間や親が仕事に行っている間は、とてつもなく暇でした。

 

たまに、車で母親の買い物に一緒についていったり、本屋さんに連れて行ってもらいましたが、近所の人から「平日のこんな時間に、学校にも行かないで何やってるの」と思われやしないかと、身を低くして、車の外から姿が見えないようにしていました。

 

なので、家にいる時間が必然的に増えてします。

 

そうするとゲームにハマりました。

 

だって、他にすることがみつからないから。

 

ポケモンやらドラクエやらドラゴンボールやら競馬ゲームやらみんなのゴルフやら、ずーっとゲームをしてました。もしそれが今なら、インターネットにハマっていたかもしれないですね。

 

ここまでの振り返りを分析してみる

最近、不登校関係の本を読んで知ったのですが、不登校の子がゲームにハマる時期が来るのは典型的なのだそうです。

下の本は、実際に不登校の子どもをもったお母さんたち(親子支援ネットワーク♪あんだんて♪の方たち)が書いているだけあって、筋金入りの不登校児だった私も首肯くことばかりで、これはとても良い本でした。

 

不登校でも子は育つ ~母親たち10年の証明~

不登校でも子は育つ ~母親たち10年の証明~

  • 作者: 親子支援ネットワークあんだんて,学びリンク
  • 出版社/メーカー: 学びリンク
  • 発売日: 2013/10/10
  • メディア: 単行本
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この本で最もなるほどなと思ったのは、「親子の回復段階表」と言われるものです。

この段階表は、親と子がそれぞれ辿るとされる、以下の5つの段階を示しています。

 

  1. 急性期/行きしぶり
  2. 葛藤期
  3. 安定期
  4. 始動期(第2葛藤期)
  5. 活動期

 

私の場合、すでに保育園児あるいは小学1・2年生の頃から行きしぶっていたので、その時が1.の「急性期/行きしぶり」に当たるのだと思います。

 

2.の葛藤期というのは、力尽きて完全な不登校になる段階で、ネットやゲームなどにハマったり、生活習慣が崩れ昼夜逆転するような特徴があると言います。

私の場合は小学校3年生から4年生くらいがこの時期に該当すると思います。

 

でもゲームも飽きてくるんです。

 

そうすると、親に仕切りに「ひま」「ヒマ」「暇」と暇さを訴えるようになりました。

 

時には家事や料理を手伝ったりするようにもなります(そのおかげか、料理は今でも得意です。料理スキルが身についたことは非常によかったなと思ってます)。

 

上記3.の「安定期」の特徴はまさにこういった行動が見られることだと言います。

 

自分でもびっくりするくらい、この行程に沿った行動をとっているなと思って、「あんだんてさん、おそるべし」と思いました笑

 

不登校時代②ーーいわゆるフリースクールと再登校挑戦

さて、私の不登校時代の話に戻ります。 ここからは、先の回復段階表の「4.始動期(第2葛藤期)」の話になります。

 

親が、いわゆるフリースクールの職員の方と親交があったこともあって、はっきりとは記憶はしていませんが、不登校の時期の1〜2年程度、多分小学生5〜6年生前後は、フリースクールにお邪魔していました。

 

そこでは卓球をしたり、他の生徒とカードゲームをしたり、キャッチボールをしたりして遊んでいました。

 

これといった勉強はしませんでした

 

フリースクールにいくのは単なる暇つぶしという側面が強かったです。

 

ただ、当時仲の良かったフリースクールの中学生の先輩たちが卒業してしまってからはそこもつまらなくなって、また暇になってしまいました。

 

何もすることもなく、フリースクールもつまらなくなってしまったところで、中学生に上がるタイミングになりました。

 

学校も変われば、先生も変わるし、キリのいいタイミングだからまた学校に行ってみようと思ったので、中学からはまた通学を始めました。

 

中学校は、勉強もキリのいい基礎的なところから始まり、復習も兼ねた部分が多いので、あまり小学校の勉強をしていなくても差し障りはなかったように記憶しています。

 

でも、やっぱり授業はつまらないし、学校に行く意味も依然としてよくわかりませんでした

 

小学校の不登校の経験からも、義務教育段階では学校に行かなくても卒業できるということは理解していましたから、より一層学校に行くことの無意味さを感じていました。

 

小学校と違って、先生は科目ごとに変わるので、嫌な先生がいてもそれほど問題に感じませんでした。

 

それでも学校で授業を受けて、事あるごとに行われるくだらない行事は、それに参加することに意味を見いだせず、苦痛でした。

 

そして、徐々に欠席が多くなっていきました。

 

小学生の時のように、1週間連続で休んだりして、クラスメイトに「よく休むね」なんて声を掛けられたりもしました。別に大した理由もないので、「怠いんだよね」、と適当に返事をしていました。

 

そんなこんなで、しばらく(たぶん数ヶ月くらい)学校に行かなくなった頃。とある出来事で学校が数日休校になりました。

 

その数日の閉校期間のあと、まぁこういう時は全員揃った方がいいんだろうとか、たまたまその日が母親の誕生日だったりしたので、周りの人々を忖度して、登校してみました。

 

中学校に登校したのはそれが最後になりました。

 

中学1年生の秋のことです。

 

そして、また家でただただ時間を潰すだけの日々に戻ります。

 

回復段階表の「4.始動期(第2葛藤期)」は、「学校に行ってみようかな」と思う時期だと言います。私もまさにそうでした。

 

でも、やっぱりダメでした。しかし、ここである意味吹っ切れました。

 

不登校でいいや、と。

 

学校は合わない、と。

 

不登校であることをほぼ完全に受け入れたのがこの時期だったのかなと思います。

 

次回は、こうして立ち戻って、受け入れまでした不登校を、なぜかやめるようになったきっかけについて書きます笑